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2011.01.03

鋼の未来(あした) -考察・ロボットアニメの興亡-前編

スタジオ・ザルツウェルツさんの夏コミ新刊に寄稿した文章です。
冬コミ新刊と続きになってますが、前のを買ってない、という方の為にこちらに公開します。
一部、誤字脱字、文章の修正などしています。

「ロボットアニメが何でこんなに廃れちゃったか書いて欲しいんだけど?」
「そりゃまた、でかい話で。でも今回はザンボットとダイターンでしょ?」
「だから最後にザンボットやダイターンは良かったと締めてくれれば。」
「そりゃアンタ、強引過ぎるでしょうよ()
てな、やりとりの結果、今回のお題となった訳だが…。
 実際、ロボットアニメは衰退したのか?という事について、具体的に制作本数等を調べるまでもなく、少なくとも今年に入ってロボットアニメ…ってあったっけ?てな感じで、大まかに最近とくくっても、エポックメイキングな物はもちろん、印象に残る物は少ない。
 何?ガンダム?あれはもはやガンダムであってロボットアニメとは別物です。名古屋において、寿がきやは寿がきやであっていわゆるラーメンとは別物なのと同じような物で。(また、わかりづらい例えを)
 ともあれ、主に1972年のマジンガーZから今日までの約40年間、ロボットアニメとそれを取り巻く環境を洗い出してみたい。そこから、果たして何が見えてくるか?ザンボットとダイターンの特集なのに、話題違いと感じたらゴメンナサイ。(でも、この二作について色んな人を差し置いてオイラ如きが語るのも気が引けるんで…)

 ではそもそもロボットアニメとは何なのか?文字通り、ロボットが出てくればロボットアニメであるが、一般的には鉄腕アトム等は含まない「(巨大)ロボットアニメ」という事がほとんどであり、この稿もその趣旨に則る事として進めたい。とするとロボットアニメとは、白黒の鉄人28号を祖としマジンガーZ以降、そのバリエーションが多数作られた、というのが超大まかな定義だ。大原則としては、ガンダムもエヴァもマジンガーのバリエーションであり、違うのはリモコン操縦の横山光輝系の鉄人とジャイアントロボ、或いはほとんどバリエーションのないアストロガンガーくらいとなる。特にガンガーはどちらかと言えば巨大ヒーローとしてくくった方が良いようにも思えるし、歴史的に大きな影響もないので、取り敢えずは忘れて話を進めたい。

 ロボットアニメの魅力とは何だろうか?何故、かつて多くの子供達を魅了し、今なお、多くのアニメファンがこだわり続ける(と言いつつ主流では無くなりつつあるが)のだろうか?それは、視聴者が主人公に感情移入して巨大な(人型)ロボットと一体化する事で自身が巨大化した(巨大な力を持った)カタルシスを得る事が出来る、というのが一番だろう。けれど、それならウルトラマンだって同じじゃないか?その通りである。事実、企画書段階のマジンガーZにおいて、パイルダーオンは一種の変身であるとして位置づけられている。
 では、ウルトラマンとマジンガーの違いは何か?それは自身の強大化ではなく、「メカを操る事で巨大な力を得る」という一点に尽きるだろう。怪獣から子供と子犬の命を助けてウルトラマンに認めてもらうのは大変そうだけど、ロボットならひょっとしたら自分にも操縦できそうじゃない?子供の「自分も車を運転したい」という想いの延長線上、メカへの憧れ。そういう点では、一体感のカタルシスとしてはやや劣るものの、ジャイアントロボ、鉄人、或いはバラタックなども大まかには同じように巨大ロボットアニメとしてくくる事に問題はない。

 では、そのロボットアニメが全盛を迎えたのはどんな時代だったか
マジンガーが放映された1972年といえば、かの田中角栄が首相を務め日本列島改造論をぶち上げていた頃である。確かに公害問題が叫ばれ、ゴジラや新マン、スペクトルマン達が公害怪獣と戦っており、日本沈没やノストラダムスの大予言と言った本も話題になっていた頃であるが、まだ児童誌のグラビアではオートメーションに司られた薔薇色の機械文明の未来が謳われていた頃だ。後付ではあるが、今にして思えばマジンガーという巨大な機械神の足音は丘を切り崩すショベルカーの地響きと重ならなくもない。事の善し悪しは別として、「機械が人間に幸せな未来を運んでくれる」という幻想が人々にあった時代であればこそ、ロボットアニメというものが熱狂的に受け入れられたのではないか。
 そして、僕らは(とあえてくくってしまうが)金属の重さ、冷たさを実感できる「超合金」で巨大なマシンを自ら操る感覚を追体験していた。ロボットアニメの興亡と深い関係を持つ重要な要素、「マーチャンダイジング」の問題を外して考える事は出来ない。ロボットアニメの衰退と関わる重要なファクターである。仮面ライダーなどの東映実写作品の制作を生田撮影所所長として支えていた、内田有作氏は「マジンガーZの超合金の台頭で、業界的に凄まじい転換期に向かっていった」と述懐している。生身の仮面ライダーアマゾンと超合金ニューZに身を固めているグレートマジンガーと並べた場合、単体の魅力は別としても、玩具としてのリアリティが前者には欠けるのは明白だろう。実際、ポピー(現バンダイ)以外にも、各社が合金製フィギュアを主力とした番組主役ロボットを続々と市場に送り込んでいった、というのが70年代中盤からの流れである。その時期には、ウルトラ、ライダー、ゴジラ等も表舞台から姿を消しており、子供達の興味がよりメカニックな物に移った、と断言して良いだろう。

さて、ではそのロボットアニメは「いつ頃から衰退した」のか?
 第一の衰退期は東映動画制作のダンガードAとバラタックが終了した1978年。以降動画制作によるロボットアニメはゲッターロボ號まで休止される。(ゴットシグマ~レザリオンまでは東映本社制作、東映動画下請)背景には、スターウォーズ、未知との遭遇等の海外SF映画の潮流、宇宙戦艦ヤマト劇場版の大ヒットに端を発するヤングアダルト層のSFアニメブームがある。特に後者については、時間帯が違うもののバラタックの実質的後番組としてのキャプテンハーロック、ダンガードAの後番組スタージンガー、と明らかに東映動画がロボットアニメに見切りをつけた節が見受けられる。たった今気づいたがザンボット、ダイターン共にこの間隙を上手く突いた形で商品展開をした事になる。他に東映本社制作の闘将ダイモス、レオパルドン(スパイダーマン)、バトルフィーバーJ等があったものの、新興メーカークローバーが曲がりなりにも健闘できたのは、このタイミングであったればこそと言えなくもない。
 実際、78~80年までは、ヤマト、999、ガッチャマン、地球へ、それに強引に宇宙へ旅立ってしまったサイボーグ009と、再編集、新作を問わず、非ロボットSFアニメが劇場を占拠していた。ロボットアニメは荒唐無稽の代名詞とされ、どちらかと言えば低く見られていた。そう、ガンダムが出てくる(厳密にはファンの間に認知される)までは。歴史にifは無いとは言うが、もし、ガンダムが無く宇宙空母ブルーノアや1000年女王がまともな出来だったならば?果たして日本のアニメの歴史も変わっていただろうか?答えは多分、ノーである。少なくとも子供が遊ぶには宇宙戦艦よりロボットの方が直接的に分かり易いだろう。

 で、ガンダムに話題を移す前にもう一つ確認しておくべき事がある。ロボットアニメの最大の魅力、それは格闘、どつきあいである。思い出して欲しい、ガンダム以前のロボットの主たる武器を。分かり易く言えば、スーパーロボット大戦において“スーパーロボット系の殆どが格闘系を主たる武器にしている事を。先に挙げた変身というキーワードがここで思いおこされる。メカを操る、といいつつ、本質的にはウルトラマンと同じ殴る蹴るこそがロボットのカタルシスだった訳だ。言い換えれば、殴る蹴るといった人間的な行為だからこそ感情移入もしやすかったのでは無いか?実際、見ていたガキの頃の我々も、今と違ってどつきあいの喧嘩なぞ日常的にしょっちゅう行っていた訳だし。
 さて、そのガンダム。自分がその存在を知ったのはクラスメートの女子から借りたアニメージュ(の存在を知ったの自体発刊一年後)の記事だった。そこには、安彦良和氏によるアムロの設定が載っていたのだが、とにかく執拗に「ヒーローっぽくならないように」という指定がされていて何だそりゃ?と思ったのを覚えている。その後、リュウが特攻する「激闘は憎しみ深く」から見始めたのだが、偽らざる感想を言わせて貰えれば「革命的ロボットアニメ」というより、「ヤマトのヒットでこういうバリエーションが出てきたか」が当時の感想であり、今もそれはさして変わっていない。良く言われるように「リアルだから」良いと思った訳では無い。アムロを「独り言の多い奴だ」()とは思ったが。
 見始めた時期もあるが、(氷川竜介さん言うところの)「MSぞくぞく登場シリーズ」の面白さ(=エンターテイメント的面白さ)あってではないかと今にしてみれば思える。それは「敵のキャラクターが魅力的であれば作品も魅力的」という事であり、ロボットアニメにおいてはむしろ希有、実写を含めても、ウルトラシリーズ以来の高評価を与えても良いのではないか?と思う。「ザクが量産機だから良い」なんてのは一部のミリオタ系ファンが口走っていただけで、殆ど後付である。大体ガンダムのどこがリアルだよ、本当にリアルさ突き詰めたら足なんて飾り以下略だし。ドラマもリアルリアルと言いつつ、やっぱりギレンは悪い奴だし、リュウが死んだら「ジオンを倒すしかない」とかセイラさんはのたまうし、シャアなんかあんな仮面つけてたらただの怪しい人だよ!w結局リアルとか言いつつも、善悪の構造を崩さず「正義の怒りをぶつけろガンダム」だから面白かったのではないか?初代ガンダムはエンターテイメントとして良くできていた、という事だと思う。

 で、放映終了後の爆発的ガンプラブームもあって、時代の趨勢は一気にロボット、リアル、の方向へ進む。SFアニメブームが結局は松本アニメブームとほぼ同義語であり、それが失速し後継者がいなかった事も大きい。そして、もう一つ、時代そのものの変化である。
 シラケという言葉がブームとなり、ヤマトで宇宙に向かった夢もロマンも何時しかコロニー辺りで留まってしまっていた。技の名前を神谷明が雄叫ぶのはカッコワルイし子供だまし、となっていた。ロボットの殴り合いはリアルでないとされ、ロボットの主力武器は銃やバズーカになっていた。(ブライガー、ゴーショーグン等も)ヤングアダルトと言われる中高生達はそれで良かったかもしれないが、果たして子供達はどうだっただろうか?
 ガンダムはロボットアニメにおいて革命的な存在であったが、皮肉にもその成功が業界全体を閉塞させる結果となってしまったとも言える。玩具でもなぜか無意味に汚しを施されたリアルタイプがやたらと発売されていた有様。そこを突破できたのは多分バルキリー(マクロス)のみだが、マクロス自体は何か新しい物を生み出したのか?と言われれば、答えはノーだろう。ただ、時代の空気には見事に合致していたのは確かだが。

 「パート2は作りません」という富野監督の発言を翻して作られ、革新的な筈だったガンダムが保守と化して閉塞を生み出してしまった(=Zガンダム)1985年辺りがロボットアニメ第二の衰退期と言える。ロボットアニメの衰退自体がアニメの低調とほぼイコールで語られ、「面白いアニメが無い」としきりに言われていた頃だ。東映制作のロボットアニメも、レザリオンで終わりを告げ(あの最終回はロボットアニメの最期を飾る華々しい花火のように思えてならない)ぴえろ制作のビスマルクや飛影は水準以下。ダンクーガはリアルとスーパーの狭間を行ったり来たり。マシンロボの面白さはロボットアニメというより時代劇その物のそれ、頼みのドラグナーは途中からスーパー系へ先祖返り?(それも中途半端に)と言った有様だった。(トランスフォーマーについては出来れば次回に)
 玩具的にもロボットといえば戦隊シリーズのそれが代名詞であった。巨大ロボットについてはより低年齢化が進んでおり、戦隊ロボを卒業したら次はガンプラ、だったのだ。いや、子供の興味は更に(やっている当人的にはより手軽にリアルな)テレビゲームへ移っていた。ガンプラ自体もこの時期は苦戦している。

 ちょっと話がずれるが、戦隊ロボの話をしたい。子供のおもちゃとしては30年に渡ってロボットの代名詞となっている戦隊ロボだが、その変遷を辿ってみると興味深い事に気がつく。それはモチーフの変遷である。初期はともかくメカである。大体がジェットとかタンクとかが変形合体する。88年のライブロボで初めて動物モチーフが出てきてこれはヒットした。翌年のターボロボは良いとして、90年、オーソドックスなメカモチーフのファイブロボが記録的な不振となる。結果として91年のジェットイカロス()を経て、92年大獣神(恐竜)の大ヒット以降、ファンタジー系戦隊と動物系モチーフが主流を占めるようになっていく。00年のタイムロボ不発以降は、はたらくくるま系以外の空想メカモチーフはほぼ皆無となっている。つまるところ、戦隊ロボは「ロボットであってもメカでない」存在にシフトして行ったのではないか?と言う事だ。この事はちょっと頭に留めて置いていただきたい。

 時代をバブル期に戻そう。逆襲のシャアでとりあえずガンダムが一応のピリオドを打った頃。時代はリアルからSDに移っていた。「流行でこれじゃないと受けない」とは長谷川裕一作「機動戦士VS伝説の巨神」での台詞だが、本当にそんな風潮だったからしょうがない。ワタルやグランゾートといったプチブルについては、正直巨大ロボットの括りに入れて良い物かどうか?単純に等身というより、ゲームの画面からそのまま出てきたその姿には精神の幼さしか感じられないのだ。これは多分に自分がファミコン世代で無いからでもあるのだろうが。現在SDガンダムは再び脚光を浴びつつあるが、ウルトラマンや仮面ライダーが未だに人気があるのと違って、単なる懐古趣味以上のものでは無い様に思える。ファンの方には悪いが。

 一方、久々にアニメでの巨大ロボ復権を遂げたのが、勇者エクスカイザーからの勇者シリーズである。子供向けに良心的に作られたシリーズであったが、段々アニメファン寄りの内容にシフトしていってしまった、悪い意味で。(マイトガイン最終回からだね)とは言え、ガオガイガーがあそこまで不調だとは当時でも意外だった。ちゃんと子供向けに作っていたと思うんだが…。(キー局名古屋でウルトラマンティガの裏番組だったのが大きいが)勇者シリーズのみならず戦隊ロボでもそうだが、この頃主流の合体ロボットは複雑の極みに達していた。「グレート○○ロボ」等、二体以上が合体したそれは、最早合体させる為だけの物でありそれを手にとって遊べるような物ではなかった。ロボットにとっては合体こそが既に目的化しており戦い自体はそれについてくるおまけのようになりつつつあった感もある。(因みに東映動画のOP集を観ていると、80年代初め頃既に合体そのものを見せる傾向が強くなり、戦闘シーンは減る傾向が強くなっていく事に気づく。ある意味後々の兆候と言えなくもない。)玩具メーカーは気合いを入れて複雑奇抜な合体に走っていったが、それと並行してロボットそのものの存在意義自体が本末転倒となっていったのは皮肉な話だ。

 そういう点について言えば、ガンダムはまだ幸せな存在だったかもしれない。マジンガー以降主役ロボットの玩具は数限りなかったが、戦う相手である敵が玩具化されたのは初期機械獣と勇者シリーズの極一部しか無い。ウルトラシリーズが玩具として息長いのは、怪獣が多数ラインナップされとして存在している事が大きい。ヒーローは敵が存在するからこそ戦うのだから。ガンダムが玩具と上手くリンクしつつ人気を保ってきたのは、敵MS有ったればこそである。
 ただ、それが起死回生として放たれたGガンダムの成功が悪い意味で後を歪めてしまった。「敵もみんなガンダムにすれば売れるだろう」という安易な発想であり、結果はガンダムという存在、ブランドの矮小化に繋がってしまった。最もこの点については、ダイナ以降の平成ウルトラマンや、龍騎以降の平成仮面ライダーの方がヒドイのは言うまでもない。同類同士の戦いなんぞ、世界観を矮小にしてしまうだけだと思うのだが…。

というところで、冬コミ新刊に続きます。
通販もやっているようですので興味のある方はこちらからどうぞ。

12/1
後編アップしました。こちらからどうぞ。

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コメント

┐(´д`)┌
大同小異と言いたいんですが分かっていただけなかったようで失礼しました。
個人ブログに2チャン紛いの吐き捨てコメントで突貫するのは感心しませんがね。

投稿: 特命課桜井 | 2011.12.21 06:16

。最もこの点については、ダイナ以降の平成ウルトラマンや、龍騎以降の平成仮面ライダーの方がヒドイのは言うまでもない。同類同士の戦いなんぞ、世界観を矮小にしてしまうだけだと思うのだが…。

本当にちゃんと作品を見てるのか?と疑う一文ですね
まだヒーローvs怪人が基本で同種同士の戦いは一時的なオマケとしている分、
ガンダムvsガンダムがメインになってる今の状況よりは遥かにマシですが…

投稿: 笑止 | 2011.12.13 23:41

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