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2011.12.01

鋼の未来(あした) -考察・ロボットアニメの興亡-(後編)

スタジオ・ザルツウェルツさんのスパロボ同人誌に寄稿した文章です。
前編からの続きになってます。
一部、誤字脱字、文章の修正などしています。

前回に引き続き、「何故ロボットアニメが衰退してしまったのか」について述べていきたいと思う。が、その前に、前回の文章を御覧になってない方の為に、簡単に要旨をまとめてみよう。

「ロボットアニメの定義」
主に、操縦者が乗り込む巨大人型ロボットをメインとするアニメ。(マジンガーZ、コン・バトラーV、ガンダム、ボトムズ、エヴァンゲリオン等)
遠隔操縦するタイプ(鉄人28号、ジャイアントロボ、バラタック)も含むものとして話を進める。人格的に独立しているトランスフォーマーや、アストロガンガー等は、とりあえず除外しています。

「ロボットアニメの黎明期」
72
年の「マジンガーZ」が爆発的にヒット。時あたかも高度成長期、子供向けの雑誌などで「薔薇色の科学文明の未来」が謳われていた頃。「帰ってきたウルトラマン」(71)「仮面ライダー」(71)に端を発する怪獣、変身ブームが、マジンガー、「ゲッターロボ」(74)「勇者ライディーン」(75)と、巨大ロボットブームへと変遷していった。

「マーチャンダイズの確立」
ポピー(バンダイ)による、「超合金」「ジャンボマシンダー」マジンガーZの大ヒットにより、後続の作品でも同スタイルのビジネススタイルが踏襲されていき、子供向けロボットアニメと玩具の密接な関係は切っても切れない物として90年代末まで続く事となる。

「リアルロボットへの変遷」
「宇宙戦艦ヤマト劇場版」(78)のヒット、「スターウォーズ」等の洋画SFブームの影響によって、玩具も含めて業界の方向はSFアニメへと向いて行き、ロボットアニメの勢いはやや衰える。そんな流れの中、「機動戦士ガンダム」(79)は、SFアニメにロボットアニメを融合させる事によって、本放送時こそ玩具売り上げの不振によって打ち切りとなってしまうが、アニメ雑誌の強烈なプッシュ(原作付きでは無いので他出版社の縛りがない)と、放送終了後参入した、バンダイのプラモデルの爆発的ヒットによって、SFアニメブームを「リアルロボットアニメ」ブームへとシフトさせていく。

「リアルロボットアニメの功罪」
劇場版ガンダム(8182)のヒットによって、ロボットアニメの主流は一気にリアル指向となる。ダグラムマクロスボトムズドルバックバイファム等々…。合体ロボ系にも武装やドラマ部分でリアル化の波は押し寄せていく。それによってティーン世代は満足するものの、合体ロボ系は、玩具の人気とアニメの人気が一致せず精彩を欠いていってしまう。

「リアルロボットアニメの失速」
「重戦機エル・ガイム」(84)の不調に、バンダイからガンダム続編の声が強く上がる。「パート2は作らない」と言っていた富野監督もサンライズの方針には従わざるをえず、「機動戦士Zガンダム」(85)が制作されるが、分かりづらい敵味方、感情移入できない主人公、ふがいないかつての主人公とライバル、盛り上がらないMS戦、フォルムが無駄に複雑化した変形モビルスーツと、人気、プラモ共に今ひとつに終わってしまう。続編「機動戦士ガンダムZZ」(86)では、その急激な反動(おにゃんこガンダムと自嘲気味に言われていた)が多くのファンに受け入れられずシリーズ終了となる。この時期には、合体ロボアニメも歴史的にはその役割をほぼ終えてしまっており、ロボアニメ好きは一部のオリジナルビデオアニメで乾きを癒すしか無くなる。

「勇者シリーズの興亡」
原点帰りを目指した名古屋テレビ土曜夕方シリーズに久々に登場した「勇者エクスカイザー」(90)は、低年齢層を中心に好評を得る事に成功、以降7年契約で勇者シリーズが制作された。「勇者特急マイトガイン」(93)辺りまでは、戦隊ロボと人気を二分していた玩具の売れ行きも段々と落ち込み、予定通り8作目の「勇者王ガオガイガー」(97)で幕を閉じる。

と、まぁこんなところが前回までの主な流れ(追加した部分もあるが)である。ここからは、前回の続きとして、幾つかの作品をピックアップしながら進めていきたいと思う。

 ロボットアニメの魅力はどつきあいにあるのでは?と、前回かなり声を大にして主張させていただいた。富野監督による「機動戦士Vガンダム」(93)が、児童層、アニメファン共に好評を得る事ができず、玩具展開も芳しくない結果となった翌94年、バンダイからの要求は、「ガンダムで(当時人気だった)格闘ゲームをやれ」というとんでもない物だった。
 「機動武闘伝Gガンダム」は今でも好き嫌いの差が激しい作品だが、素手で弾丸を受け止める主人公、生身でMSを叩きのめすその師匠、トンデモデザインの各国ガンダムと言った無茶苦茶な要素を、熱いドラマでまとめ上げた結果、「典型的なロボットアニメ」としての傑作と成り得た、と自分は評価する。一件ハチャメチャに見えるキャラクターだが、行動そのものは、至極まっとうな事を見逃してはいけない。(次作ガンダムWのキャラ達は完全にキチ○イ揃いだが)ベースとなるストーリーも、監督の今川泰宏による重くシリアスで味わい深い。また、地球住民とコロニー系住民との感情的確執、強化人間の悲劇、地球の為を想い暴走してしまう敵等、ガンダムの絶対的・お約束的テーマな部分もちゃんとこなされている点にも注目したい。
上っ面を見て「あんなのガンダムじゃない」という人も多いが、前回述べた通り「エンターテイメントなロボットアニメ」という点においては、ファーストガンダムに一番近しい存在では無いだろうか?惜しむらくは、ガンダムに関わらず、この後を継いだロボットアニメが無かったことだ。

前回、戦隊ロボのモチーフが、時代を下るに従って、メカから生き物系にモチーフが変遷していったという話もさせていただいた。勇者シリーズが「黄金勇者ゴルドラン」で、子供からもアニメファンからも総スカンを食らった95年、正にロボットと言いつつ(作品曰く人造人間)生物っぽいそいつは出現した。言わずもがな「新世紀エヴァンゲリオン」である。
ロボットアニメとしてのエヴァは、悪くない。発進プロセス、ケーブルでの電力供給という弱点、敵の特性に対して綿密な対策を立てての作戦、コントロールしきれず暴走してしまうかもしれないという危うさ(元々機械という物の本質だ)等々、ロボット物というよりは、巨大ヒーロー物的要素が強いが、「正しいロボット物」には違いない。新しい事はさしてやっていないが。
 だが、自分はエヴァに対しては評価よりも批判の気持ちが強い。先述した巨大ヒーロー的な要素。そりゃそうだ、庵野監督はウルトラマンごっこがしたかったのだから。バンダイの村上克司氏曰く、「猫背のロボットなんかロボットと呼べない」そりゃそうだ、あれは初代ウルトラマンなのだから。オマージュと言えば聞こえはよいが、やっている事は過去の特撮傑作をなぞった「ごっこ遊び」に過ぎず、自分の様に、すれたアニメ、特撮マニアには、元ネタが透けて見えるような物ばかりで、段々興ざめしていってしまった。
 更に、一番悲劇的だったのは、視聴しているアニメファンの心情におもねった内容になってしまった事だ。元々終盤においては、シンジとゲンドウの対決で脚本も進んでいたそうなのだが、庵野氏が「ネット上で見事にラストを看破した予測が上がっていた」事を理由にそれを破棄。あとは、御存知の通り「僕はここに居て良いんだ」…。劇場版でも、結局シンジは何もできず受動的なままストーリーは終わっていく。あれだけキャラクター間で葛藤をさせたにも関わらず、シンジは自らの拳では誰も傷つけることはなかった。富野氏がガンダム最終話で、アムロとシャアに生身で対決させ、MSで戦闘しながら語り合う空虚さを防ぐ(Z以降は定番になってしまうが)バランス感覚を保った事を思えば、雲泥の差であり、その富野氏をして「エヴァは病んでいてキライ」と言わしめたのも分かる気がする。だが、観ている方も半分病んでいて、だからこそエヴァは圧倒的な支持を受けてしまった。「逃げちゃダメだ」とか言っているけど逃げとるやん!というツッコミは彼等には通じない。個人的な偏見に過ぎるのは承知で言わせて貰えれば、エヴァこそが引き籠もり増加の一因に違いないと思う。「アニメや特撮しか観てこなかった」世代が、「ものがたり」を語っても薄っぺらい物にしかならなかった結果であり、悲劇的な事に今のアニメの主流はほとんどそんなものだし、個人攻撃で悪いが、エヴァ組の一人樋口真嗣の監督したリメイク版「日本沈没」(06)等でもそれは感じさせられてしまう。
 ロボットアニメとしてのハードで勝ったが、魂としての「作品」で負けた、エヴァはそんな作品ではないか。悪口ばかり書き連ねてしまったが、庵野氏の才能を持ってすれば、文字通りアニメの「新世紀」を切り開いてくれるのではないか、と期待していた視聴者としての偽らざる想いである。(余談。筆者未見だが、新劇場版とやらは燃える内容らしいそうで、評判も悪くない。だが、最後に「ときめきエヴァンゲリオン」(最終回のトースト綾波のアレ)の如き所詮パラレルの話ですよ、とか言われるのがオチな気がする、過剰に入れ込まない方が良いと思いマスヨ)

で、「エヴァ以降」であるが、殆どが深夜アニメになってしまった事もあり、印象に残る物は少ない。ロボット物に限らずエヴァの影響を悪い意味で受けた作品が多く、「病んだ」内容「病んだ」キャラクターが多いのには閉口させられる…。と言って全て切り捨ててしまうのもあんまりなので、軽くだが幾つか触れてみたい。
 マクロスの河森正治監督による「天空のエスカフローネ」(96)は少女漫画+異世界ファンタジー+巨大ロボットという異色のハイブリッド。ロボ要素は薄めなものの、バランス良くミックスされていて楽しむことができた。作画クオリティの高さと管野よう子、溝口肇の音楽も魅力。
 「GEAR戦士電童」(00)は、久々に玩具連動で子供向けに徹して作られた作品だが、キャラクターの魅力、格闘戦メインのロボット、多彩なデータウェポン達(ポケモンの延長線上ではあるものの)、危機また危機の展開を子供達の頑張りで乗り越えていく燃える正統派ストーリー等々、未見の人には一度は観て欲しい傑作。
「機動戦士ガンダムSEED」(02)、「アンチ」の人にこれ程叩かれる作品も珍しいが、多くの人気を得た事もまた事実。あえて言わせて貰えば、リアルじゃないとか御都合主義とか言うのは難癖に過ぎないのではないか。Gガンダム以降の中では、「エンターテイメント」としてのバランスは一番上手く取れていたからこその人気ではないか。「9・11」以降のガンダム、としては、あれしか無かったと思う。(但し、続編Destinyについては、あれこそ本当にハチャメチャで全く評価しません、自分は)
「神魂合体ゴーダンナー」(03)、UHF深夜系だった為にあまりメジャーではないのだが、第1話の完成度、という点においては、全てのロボットアニメの中でも間違い無く五本の指に入る出来。特に、玉井☆豪氏脚本による台詞の掛け合いは、お見事の一言に尽きる。(その分、川崎ヒロユキ脚本の見劣りっぷりもヒドイのだが)21世紀に渡辺宙明音楽のロボットアニメが観れたという一点だけで神の如く有りがたい作品である。

と、いくつか挙げてみたのだが、(あ、「ガイキングL・O・D」(05)忘れた!)ガンダムSEED以外、後続作品(単に続編という事でなく)が無いというあたり厳しいものがある。そもそも、子供向け時間帯で放送されたロボットアニメは、トランスフォーマーシリーズが何作かあるだけである。(但し、この稿の巨大ロボットアニメの定義からは外れる)電童からすると早十年。ロボットアニメを観ないで育った世代が成長しても、特別ロボットアニメに愛着は無いだろう。それどころか、アニメそのものが、ゴールデンタイムから消えつつある。
度々、氷川竜介さんの褌で相撲をとってしまうのだが、最近氏のツイッターでの「アニメの公共性は低い」という発言が注目された事がある。(アニメ 公共性で検索してみて下さい)要するに、アニメ観るのは金持ってないやつらばっかりだが、韓流見てる主婦は財布握ってるから、アニメより韓流の方が「公共性」は高いですよ、という悔しいがその通り、という話である。その論法だとアニメの中でも、ロボットアニメは更に公共性が低くなってしまう。何故か?

ロボットアニメは、ロボットアニメというだけで敷居が高いのだ。何故か?考えても欲しい、マジンガーの頃は、主人公の乗るZ、本拠地の光子力研究所、悪い奴が機械獣で責めてくる、せいぜいこれ位のシンプルな要素で済んでいたからこそ、日曜7時というゴールデンタイムの放映でも問題なかった。だが、ガンダムの世界には一体幾つ約束事=設定が存在するだろう?モビルスーツ、ミノフスキー粒子、スペースコロニー、ジオン公国等々を理解しなければ観ていてもさっぱり分からない。これでは、「頭の悪い一般視聴者」はとても観てくれまい。
何、上から目線?申し訳ないです。だが事実、世の中には「ワンピース」すら字が多くて読むのに疲れる()という輩も少なくないのだ。筆者なぞガンダム本放送を途中から観始めた、という話は前回述べたが、恥ずかしながら主題歌の「よみがえる~ガンダム~」というのを真に受けて(後のイデオンやガンダムのような)発掘兵器かと思っていたくらいだwいやいや、笑い話ではあるが、巨大ロボットという物が非現実的な存在である以上、「なぜそのロボットが存在するのか?」から説明せねばならない。事程左様に、ロボットアニメというのは、説明しなければいけない事が多すぎて、作る方も面倒、観る方も面倒な代物なのだ。
じゃあ、先祖返りで、マジンガーの頃のようにシンプルに戻れば…と言っても、そこまで単純では今度はドラマの間が保たない。「真マジンガー衝撃!Z編」(09)にしたところで、深夜11時という(それでも他の深夜アニメよりは想定視聴者層は広い)時間帯での放映に耐えうるディティールは描かれていた。が、結局、視聴者層は育っていない、単純にもできない、複雑にするにも限度がある、とにっちもさっちもいかない、それがロボットアニメの現状である。

加えて、今のアニメの流行を見れば「日常系」と言われる作品群が大勢を占めている。「あずまんが大王」辺りに端を発し「けいおん!」「らき☆すた」等々、ひらがな四文字の作品はまずそれと思って良いだろう。「日常」なんてまさにそのものズバリだw
とんでもないことが起こるでもない、平穏なまったりとした日常の中でのちょっとしたドタバタ…。それ自体だけ上げてみれば別に責められるようなモノではない。(自分もあずまんが、それ町、イカ娘とかは好きだし)
だがエヴァで引きこもったオタク達が求めたのが、自分には味わう事ができなかった、有り得たかもしれない何気ない幸せの青春の日々…なのだとしたら、それは余りにも悲しすぎるではないか。
そこには、越えるべき壁も葛藤もないのである。意味じくも、「けいおん!」で、高校軽音部の仲良し四人組の女の子達が揃って同じ女子大に進んでめでたしめでたしというラストに、少なからず反発の声が挙がったのは記憶に新しい。筆者は殆ど見てないので明言は避けたいが、そのような失望感を覚えた人達は、まだ正常な感覚に近いのではないか?と思う。(葛藤するけいおんメンバーを読みたい人は、サークル・蛸壺屋さんの同人誌がオススメだっ!成年向けだけどね)閑話休題。

 そろそろ紙数も尽きようとしている。結論としては、「今の世の中(オタク世界含む)にロボットアニメは必要とされていない」という事だ。悲しい結論だが仕方が無い。前述した「戦隊ロボのモチーフがメカから生き物系に…」の話だが、「メカ」が世の中で特別なもので無くなったのか、「メカ」が作り出す未来は決して明るい物ではない(環境破壊等)と分かったからなのか、どちらとしても子供の世界でメカニックなものが、特別魅力有る物では無くなってきている、という事だろう。突き詰めてないので思いつきの域を出ないが、若者のクルマ離れ等とも、ひょっとしたら無縁ではないかもしれない。
それに、これだけ万事多様化した世の中で、ロボットアニメだけが例外的に最大公約数な作品を作れる訳ではあるまい。「ガンダム00(07)の不調、宇宙世紀、ミネバ・ザビ、三倍赤い仮面の池田秀一wと言った保守的要素ばかりを揃えても尚、限定的な劇場公開にしかこぎつけ得なかった「ガンダムユニコーン」(10)が、それを語っている。
 では、ロボットアニメ復権の可能性、は皆無なのだろうか?正直、わからない。ただ、鉄人にせよ、マジンガーにせよ、大人が見ても面白いとは言えど、元来子供の為の物だった。子供が見て興奮せずにはいられないロボットアニメ。それが復活した時、また時代は一巡りして戻ってくるのかもしれない。あたかも、「ヤマト」が36年経って再び一般層の支持を得ようとしているがごとく…。

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コメント

HN変えてまでの連投コメント御苦労様です。

>まだ怪物くんやこち亀の実写版の方がよっぽど一般層に受けてるでしょうよ

( ゚д゚)。。。
こち亀実写版………打ち切りの…劇場大ゴケの……
今年聞いた最大のギャグですねwww
電通脳という奴ですか?
もっと宣伝に踊らされず自分の頭で考える訓練をした方が良いでしょう。
キムタクヤマトと興行成績で冷静に比較しましょう。
ことガンダムと比べてもTVシリーズすら実現し損なったUCよりヤマトの方がよほど可能性がありますよ。

投稿: 特命課桜井 | 2011.12.21 06:21

あたかも、「ヤマト」が36年経って再び一般層の支持を得ようとしているがごとく…。

ここで思わず噴出してしまった、いくらなんでも本気でヤマトが一般層の支持を得ようとしていると思ってるなら信者脳すぎますね
所詮一部のマイノリティにしか受けてませんよ、まだ怪物くんやこち亀の実写版の方がよっぽど一般層に受けてるでしょうよ

投稿: ロボットアニメはオワコン | 2011.12.13 23:38

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